オカーチャンおめでとう、いつまでも元気でね

竹田の此処は、今朝はあまり寒くなく、ぼちぼち春がくるかなーという感じ。早朝有難いことに、またオカラをサリモスさんから頂きましたー。頂きもので思い出しました、あたしは親不孝者です、母の誕生日をすっかり忘れてました。あわてて母に電話すると、大笑い、兄弟みんな忘れていて、弟が今、皿洗いをして、それをプレゼンとと言うているらしいです。この母が面白い、かなり歳をとってから、ヘルパーの資格を取り、免許をオラーオラーとあたし逹に見せて自慢してましたからねー、で、病院勤務、夜勤もありました。夜勤してますと、何やら、肩にのるもの、足首をつかむもの、おまけに話しかけてくるものあり、煩かったらしいです。それに対して、あんたわもう死んだんやーって、足首つかむとふりはらいながら、言いつつ働いていたようでした。あたしが里帰りした時、子供は赤ん坊だったのですが、母に抱かれると、あきません、おお泣きです。母はーどうせあたしになんかついとるんやろーと自分の事を言いながら、大笑いです。ちなみにあたしは、この体質は、ありません、なんも見えないし、感じません。この母が元気一杯のころ、あたしが里帰りすると、何処にでもついて来るのです、あたしがビスコンティやら、ゴダールやら、母が絶対観れない映画でも付いてきました、彼女はやはりずっと隣りで寝てましたがねー小さい頃あたしが通信簿を持って帰っても、母は見ません、あたしが勉強しとるわけでないから、あたしは見ませんーといいましたから、母はあたしの成績を知りません。弟が暴走族に入ったときも、この母は関心なく、彼はすぐサーファーになりました。グレるのも阿呆らしくなったのでしょうねーそんな母が懐いたから堪りません、買いものにも、べったり、あたしが何か洋服なんかを触ってみたりして、店を出たときには、もうそれを買っとります。ご飯なんか、美味しいーなんて言おうものなら、毎晩それです。実家では、美味しいの言葉は暫く禁句でした。彼女は今も働いています、昔働いていたころの、病院長先生のお母さんの話し相手です、家では、何処がいたいここがいたいのかあさんが、そこのお家の前で変身するのをあたしは見てしまいましたーピョンピヨン飛び跳ねてそこへ入っていきましたからね、えーうそーです、オカーチャンおめでとう、いつまでも元気でねー今晩も誰か呼んでの御食事会、楽しんでねーこの頃は自分が出れない分、人を呼びこんでいる様子です。本日も良い日です。

 いつも応援ありがとうございます
にほんブログ村 ハンドメイドブログ 手織り・機織りへ


コメントを残す