生きてる今幸せな今

これは5歳くらいの我が子の写真なので23年くらい前ですあたし達は32年前田舎暮らしを決めた関西脱出〜多分イランイラク戦争が勃発して湾岸戦争(1991年1月~2月」それがきっかけでKの車に荷物を詰め込み旅に出たそれは田舎暮らしを始めるための旅キャンプ場でない山や河原で寝起きしたすぐお家が見つかると思うたのにも関わらず見つからず別府に2年住んだその生活も悪くはなかった畑付きのアパートやったし別府の街はなんというか全てを受け入れてくれる街だったあたし達が住んでいたアパートはなんと先住の人が電気を使わず「薪生活」面白い人やったな、、「たけやん」2年そこにいて清川村で住む二階の引越しで清川村の「御嶽山」の山頂にすみ自給自足鶏も放し飼い自然農集落ではなくて水は山水時々水は止まり「川で洗濯」一輪車に器を積み込み洗うその横で子供は泳ぐ美しいところで静かなところだった人にはほとんど会わない鶏は夕方小屋に帰ってくるけれど時々帰らず山の獣の餌になる卵はあちこち産むのでそれをひらうのが日課そいう暮らしも今から思うと悪くなかった薪生活ここ竹田に来て20年が過ぎた大分に来て32年今は畑はしていない少しのスペースで遊びみたいにタネをばら撒き生えてきたら食べる主に友人達の野菜を買うグリーンコープを最大限利用あたしはさをり織り毎日さをり織りそれから週1「機織り教室」展示会は先先決める決めてからそこに向かうのが好き高木君はそれこそ毎日陶芸三昧月に2回の教室で作品展示会にのみ力を注ぐ二人とも制作に1日の大半時間を使うそれをお互い尊重してるから畑がいかに荒れていようがうちの中が片付いていまいがなんのこっちゃで有るのが助かる子供はライオンが谷底に突き落とすように追い出したというか出ていった「あたしはないていた・・・」でも今ではそれがよかったあたしは彼が一人っ子なのでなるべく気にかけているけれど気に欠けていないようにしてきたこれでも気にしてるとこある「親やからね」・・・なんというか変な話一人の人間として世間に育ててもらい友人を作って欲しいと思っている彼は竹田の町でシェアハウスで暮らしてる友人達と暮らしていて面白いなー^^といつも思ってる彼は清川で生まれたそれも「宇田姫様の生まれたお家で」徳があるんよ^^共に暮らしてる清川「御嶽山」時代・竹田「山奥」時代テレビも何にもない本と映画だけ本だけは好きで読んでいたし映画は映画館に行っていた私たち生まれてきてくれてありがとうこんな凸凹夫婦のとこにね人生を楽しんでくれたらいいあたし達もまだまだ楽しむ昨日の高木君の誕生日が過ぎて今思ったことを書いてみた出会ってくれてありがとう高木君に我が子よ#自給自足#田舎暮らし#移住者

いつも応援ありがとうございます にほんブログ村 ハンドメイドブログ 手織り・機織りへ