震災

あの時私は大分から高木のお婆さんが亡くなったので船に乗っていた丁度淡路を通りかかる突然船が浮き上がりそれからドスンで皆起き上がる何が何かわからない真っ暗な中スマホも持たないみんなあの後神戸に着く予定が「神戸の岩壁が壊れたので、船は大阪南港に行きます」と放送があり大阪の南港につくと「この船は安全のため。海上に避難しますので皆様迅速に下船よろしくお願いします」と言われ皆走るように陸に降りる降りるとそこは地下鉄もバスも電車も走ってないなのでみんなでなんとなく大阪の方向に歩く私はそこらあたりは写真してたので土地勘があったその時「神戸に結婚式で行くのだけれど、神戸はどこかな??」いうてたあのおじいさんはどうしていたのだろう随分歩いてもバスは来ないのでカフェに入るそこで時間潰してたらバスが来て大阪に行くも京阪は動かず大阪でまたカフェで時間潰すようやくお通夜に間に合うお葬式もできたそれからしばらくは高木の家にいてまた大分に帰る船に乗る白い遺骨を抱えた人がたくさんいて・・もう誰も話さなかったかけることばも見当たらないその後2年後かな・・・落ち着いてから神戸に行く友人が家が斜めなのに家から出ないという情報友人の家に行くと彼女は家の中でヘルメット被ってた ・・・心が壊れていた・・・その神戸行きで私は子供をもう少しで「死なすところだった」切迫流産仕掛けた震災後別の友人が避難所にいたので呼び寄せるも避難所より寒いというので彼らは神戸に戻る悪かったな。。。。色々あったけれど忘れられない震災の記憶忘れてはいけない記憶

上田 假奈代

4時間  · 【忘れたいこと、忘れること、忘れないように表すこと、忘れたらあかんこと】阪神淡路大震災から29年なのねその頃、京都にいてなんにもなんにも動けなかったししなかったことを この日がちかづくと 思い出す毎日 どこかで誰かが つらくて苦しみ誰かが 喜びに満ちたり誰かが 淡々といちにちをすごし誰かが 亡くなり誰かが 生まれる地球は生きている宇宙は生きているだから 蠢くし 動く時間は 流れてゆく釜芸(ココルーム)のトイレにかけてあるアナログ時計は 秒針が ときどき急に早くまわりだし急にゆっくりになる誰もみていなくてもじぶんは 知っている忘れようとしても 忘れられないこと忘れてしまうのも 人だから覚えている人が 表しておく揺れる大地に生きることのこころえ

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