思い出す

さをり織りとしての作家になる道を思い出したのでいうねまず「田舎暮らし」で私は車の運転できないからどこにも働きに行けなくて「思えばこれがよかった」もしそうなら私はホームセンターやスーパーで働いてたで物差しで測ってみたら「ダメなのを」右に置くすると50枚全部@ダメ」、つまりは全て真四角ではない・・・どちらかといえば斜め。。。。。仕方がないのでそのホテルのオーナーが持って帰るそれが「売れた」なぜか買れた「人が作った味わいがあったのね」売れれたのでミシンで縫う方法にしたら突然売れなくなった「味がないのね」売れなかった長くコースターで食べてたほんまの話それから大分の百貨店で「展示販売」手作り展や「アート展」というのがあってそこに出ても全然売れんかったんやけど最終日に「なんか売れた」それは脳裏に焼き付いて離れず怖いもの見たさでお客がきてた」もう「目の端に」私の作品が頭から離れない・・そうだわ^^みんな「展示会の時みようともしない」なんかみたら壊れる思うたんかでも総合しても毎年1年に2回くらい出てたけれどあかんかったなただ教室してくれという要望あり「販売が苦手だったので」オリキ持参でひたすら機織りしてたわその教室でなんとか食べてた展示会もたくさんしたわ東京やら大阪やら「ホテルに泊まって」なんか経費とかで自転車やったけど「生きていけてたから不思議」作品のブローチをレジに持参したら「ゴミやと思われて」捨てられたこともある・・・あはは「笑い話やな」走行してるうちに福岡で10年個展、年に2回した。それはどんどん売れていく「福岡のお客さんは怖がらず着てくれた」ありがたかったけれど初めは「もうよそ行きたくない」からお断りでも何回もくるんよなついにおれて出たら「そこがよかった」多分お魚がないとこで私は釣り糸垂れてたんだ松本クラフトフェぁーも4回で出た楽しかったここでも初めて売れた時は「泣いたわ」その人はいつもみにきてくれてたこの写真の人は私が別府に住んでた時洋裁を習ってた先生のお孫さん私の先生はすごく素敵な人で私が全くできないのを「笑って」自分で縫いぬいしてくれてた今生きておられたらもう爆笑やろうな相変わらず「下手やし」このお孫さんは最高に素敵な人で別府のきた高架下にあるとこでアトリエされてて「温」さんその横に素敵なお店発見なんとコロリコの姉妹店>>??????でその横がのっけむしさんのアトリエなんかすごい@密度の濃ゆい」温さんはかっこいいコロリコは「ぱたんこ屋」展示会最終日のっけむしさんとは大分のカフェで2人展でさをりの経歴書いたけれどあいかわらず100人いたら1、2人は好きになってくれその人は大ファンになってくれるそれでいいと思う今幸せやし^^これしかできないしこの世界を好きだ世界に私を待ってる人がいてるし^^私は私でいい売れるのも作らなくていい好きなものを作ればいいそれを好きっていうてくれる人と出会えばいい旅はまだまだ続くなんかの参考になればと「公開」大分の竹田の「宮砥工藝舎」でさをり織りを教えてる今が一番幸せなので出会ってねさをり織りを広めて教えたい「教えるのではなく引き出し教え方」教えるのも作るのも下手でもそれでええねん#ぱたんこ屋#ものつくりの道#竹田で作家#竹田でさをり織り#ものつくりの道#温さんかっこいい#大阪から大分に移住

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