生き別れの「父」のお墓を見つけた
25ぱたんこ屋2021年8月30日 08:47
8月
生き別れの「父のお墓を探す旅に出た」それは「苦難の旅だった」
何故??この時???この大変な時期??
「おかんのお墓も気になる」でも何故か突然「父のお墓が、気になる」
そのために7月「奈良の役場に何回も話を聞いてもらい」なんと4500¥も支払い
戸籍謄本やら何から何まで送ってもらう
その中に「絶対これは」この役場の人が見るにみかねて
書いたのであろう「手書きの住所」・・・・・・・
それが「父のお家だった」
「生き別れの父のお墓を知りたいのです」
「どこに最後は住んでいたのか」「どこの生まれで」「おじいさんはどこの人か知りたいんです」とかもうしつこかったよな・・・私
こんな時代でもさ「やはり人間力だよ」気持ちと気持ちで動くんだ
でその「住所に行く」とそこはもう「ほかの人のお家」諦めて
その町内を3回くらい回ったかな・・・人に会いたくて歩いてみたけどだあれもおらんのよ
それから「諦めて帰ろうと」したら「おばあさんが外に出てた」
でその人に「なになにさんのお家はどこですか??」聞いたら
もうその人はずいぶん前にお家を引き払われて
今は娘さんが横浜で「横浜に連れて行きお母さんは亡くなられた」
と言われて
そうですかと私は諦めて帰ろうとしたのだけど
もう一度そのお家を見てから帰ろうとして
またそのおばさんに会いに行くも「おばさんはおうちの中」思い切ってピンポン押す
「実は私娘なんです、小さい時に別れててそのままで、お墓を探しに来たんです」と正直に話すとおばさんは「私はお墓がどこにあるかわからへんけど、お盆のこの時期にそういう行為は仏さんが喜んだはるわよ」と言われたのよ
それで私は「あ」絶対見つかる「この時期やから見つけれる」そ思ったんよな
あのおばあさんは「神様かもしれない」
それからバスに乗り
おじいさんが生まれ育ったところに行く
その途中でなぜか
おじいさんと私が暮らしていた「お家を見つける」
バスの中から「見つけた」
後で「見に行こうと」思った
それから
おじいさんが住んでいたところに
親戚がいるかもしれない・・・・
ここなら「地元」なはず
ポツンとあるバス停に降りて周りを見渡しても「商店もないし」
だあれも出て来てない、おまけにどこのお家にも「猛犬」のシール・・・私は犬が大嫌い
猛犬はあかんあかん
これは竹田の写真です「関係ないです」
で一つ「シールのないおうちの」ピンポン押す
中から「ひ弱な声でおばあさん」____ごめん寝てたかも・・・・・
「なになにさんはいますか?・この集落・・・・孫なんです||」聞いたら
お家を教えてくれた
親戚のお家
そこに行く、そこも留守で「諦められず」道に出ては引き返すをする
4回くらい
大声で呼ぶをしたけれどだあれもいそうもない____
で最後にバス停まで引き返しかけてまた行く
すると中から「おばあさん」たまたま「帰宅」居たそうですほんまにたまたま帰宅
なんか「声が聞こえてる」みたいなんで表に出たそうです
招き入れてくれたそこは「本家」だそうです
それから、息子さんがまだ若いのに「亡くなられて」初盆
このかたも「息子が連れてきたのかもしれない」と言うてくれました
父の死因も教えてくれた
ご主人に電話してくれて
その方が「お墓を教えてくれた」
でそこに行く
先祖代々の墓には入らず
新しく作ったそうです
霊園
そこに行くには「タクシー」で行く
とにかく行ってみた
行くと「草がぼうぼう」見るにみかねて「タクシー」の方が「メーター下げとくから」というてくれて
草を抜く
霊園の人も見るにみかねて「お手伝い」ありがたかった
もう長らく来られてませんね
で
妹の住所聞く
帰宅後
手紙かくもまだ返事はない「腹違いの10歳下の妹」
お墓は大きく広くて「多分」個人の墓にしては立派すぎ
おかんの墓の10倍はあったわ・・・
そこには
おじいさん、お父さん、それから再婚相手のおばさんの名前
父の死因は
上から鉄骨が落ちて即死
だったそうです
お盆にはほんまに「亡くなった人が帰ってきてる」そ思う
私の又従兄弟だろうか「なくなったあの若い人の」仏壇にお供えは
お昼ご飯だそうでした
おばあさんがそのために「帰宅していたそうです」なんかさ
小さな入れ物に美しく入ったそれは「おばあさんの優しい思いが形になっていた」
そのおばあさんは親戚にあたる
優しそうな方だった
おかんが言うてた
優しい人達って
この人達のことだったのね
そのあと
歩いて「おじいさんと住んでいた」廃屋の前に立つ
それからタクシーを呼び「霊園に」
いい旅だった
あの世の人の力を感じた
旅してよかった
きっとこの時にしか「出会えなかった気がする」
ぱたんこ屋
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