あたしの「中には」子供というのはなかったのねでもある日「大分県のウタヒメ神社」清川にあるのだけど此処の横に住んでてね「子供ができたんよ」暮らして7年だったかな37歳だった此処の宇田姫神社の水は「はまぐり水」というてお茶にいいんだけど「子作り」にもいいらしい^^今住む「穴森神社の洞窟の石」も「子作り」にいいらしいどちらも「大蛇伝説」に関係があるのよで「できた子供は一人っ子、できる限り「一人でも生きていけるように」と育ててきたつもりがあははー^^「お腹大きくても仕事してて」子供と遊ぶというより「仕事の中で育てたので「一人遊びの出きる子供になった」猫みたいにダンボールの中に入ったり、靴を並べたりで「テレビは生まれたときに捨てたので」どこかの「温泉に行くと」テレビの前に陣取り見まくり・・・育てていない。。。育ってくれた感じ構わないつもりが、構いまくってたのかなある時「保育園はいいよー^^遊べるよー^^」というて小学校に入る1年前に「入所」してもらう1週間で「保育園から電話」「春風くんが保育園やめる言うています・・・」で飛んでいくと怒った顔で「入り口で荷物両手に持ち待つ・・・」「お母ちゃんは嘘ついたー此処は遊ぶとこやないわー」で、あたしは謝る「あたしは仕事したかったんよ。。。ごめん。。。」言うたらこの子は「そうか~」言うて保育園に行ってくれた。。。。思えば断乳のときも「お母ちゃんもうおっぱいやりたくないんよ」言うたら次の日から「飲まんかった」昨年2月「家から出た」猛烈寂しかったのだけど1年近くたち「手放してよかったとお思う」全くなんにも家事させなかったのだけれど「子供にさせるより、自分がしたほうが早いしー」でも大丈夫みたい何でもできて「我が家よりきれいに住んでいるし」コーヒーにこって「先日アパートに行ったら入れてくれた」^^ほとんど家には帰ってこないけれど「友人には恵まれて」遊んでる考えたら「自分だって」家にはかえらんかったもんねー^^育ってくれたのではなくあたしを育ててくれたんだな成人の日につくづく子供に感謝だわあたしには「必要やッタ」子育てそんな中でも何人も子育てしてる人見たら「すげー」って思うし子供がなくても「それはそれは幸せに人生生きてる人もたくさんまわりにいてるし」人生は色々「面白いな」ー^^成人の日に思う「小さい時」我が家は「このように雨戸で障子」だから同級生に「春風のとこ貧乏ー」って言われたりしたいみたいだけど中3で初めて「おばあちゃんの願いでテレビが送られてきて」、、、あはは勉強しなかったけれど・・・学校に行き「はなしが初めてあったー^^って」言うて喜んでたわ子供が勉強しなかったのは「高木が」勉強なんかするな、阿呆になるいうたんよ。・・・いろんなことを思い出す成人の日ありがたいですちいさな暮らし方あ「追加」子育て、親育ちは「楽ではなかったヨン」小学5年から20歳まで反抗期ー^^あはは不登校やら色々ありましたわー^^ながーい「反抗期でしたわ」^^鍛えられたわー^^クソばばあとも「呼ばれてました」あたし「はい」たしかに「犬の散歩時」この言葉には「わろうたわ」ー^^
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