あたし

おはようございます
本日は「おかんハウスオープン」
大分県竹田市次倉2471
宮砥八幡神社下「090−2280−8556」
9時から16時オープン「1本さんの展示会開催中」
思えば「小学校」は殆ど行かなかった
中学校はボツボツ
幼稚園にも行っては居ない
なので「友人も居ない」
憧れは同窓会ー^^誰かよんでえやー^^

今「友人は沢山居てる」

昔「居なかった分を取り返してるのか」ー^^

学校に行かなくて
それでも「時々行く学校は逃げ場が保健室」
とにかく「学校に行くとお腹が痛い____」

それで「養護教諭の資格を取る」

でも「突然」熱が冷め「写真学校に行く」
そこでは「毎日毎日」が「町にでろ写してこい」
で、楽しかったのだけれど
なんにも写ってない「写真を見て批評するのが」大の苦手
多分それもとても大事な作業だったんだな
今思えばそう
「言葉」に変換するという作業
今もこれは苦手

とにかくものを見ろ
自分のこの「めんたま」で見てこい
はすごかったなー^^

人は見てないと言うことに気付く

写真学校で最優秀賞

写真を写し続ける、とにかく写し続ける、そうすると其の先に
写る物がある。それを撮ってくる

これはおんなじだ
何をしてもおんなじだ

「なんにも写らない?」

「自分のさをり織りができない?」

おんなじ「とにかく無心に織り続けること」

陶芸の学校にも行く

そこでもおんなじ
何かを変えても
おんなじだった「作りまくる事」
其の先に見えてくる

何かを求めているのなら

とにかく「やり続ける事」

それしかない

「それはいつか形になり、明確なものとしてそばに現れるその時
自分は気付く、それははじめから此処にあったことに」

それに気付くには

やることしかない
そうしたら「一度それを手放してみる」

なんどでも「手放してみる」

人生はそういうものかもしれない
自分は空っぽのコップだったとして
水が入る、飲む、また水が入る、飲む
其の水は、どこからくる
コップに中から湧いてくる?
誰かが入れてくれる?

それは神かもしれないし
何かの恩恵かもしれないし

生かされる事に感謝しかないのかもしれない

今の自分の夢は
と語ったとき
もうすでに
実現してることに気付く

朝起きて
鳥が鳴き
太陽が昇って
水を一杯のみ
花を見て
草に触れ
この「世界に感謝して」
ありがとうを言う
ただそれだけで
いいのかもしれない

自分にできる
ことだけしよう

一生懸命
しよう

今日も真っ直ぐ
眼の前の
ものを見て
心眼で
捉える

ことにしよう

友に一杯のお茶をいれよう

明日は「宮砥工藝舎」オープン

月に1回の機織り教室

さをり織り
織りに来てください
090−2280−8556
大分県竹田市次倉4459−1
旧宮砥小学校2F

宮砥工藝舎

プロフィール
高木康子   大分県竹田市在住

1982 大阪写真専門学校卒業
1989 兵庫県芦屋 適翠美術館付属陶芸研究
所研究科卒業
インド・ネパールを旅する
1990 適塾SAORIで 「さおり」を学ぶ
奈良の川口由一氏に自然農を学ぶ
1991 京都のスピナー吉岡よう子氏に
染色と糸つむぎを学ぶ
1992 大分県清川村(当時)に移住
2005 竹田市にアトリエを移転
長野県 松本クラフトフェアに出展(以降
毎年)
2007 第4回全国裂織展(東京) 奨励賞受賞

現在 東京・大阪・福岡・愛媛など各地
で個展を開いている

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