あたしが
奈良の自然農の「川口由一」さんに
出会ったのは30歳位のときでした
その時は「インドに行く」のが決まっていたので
帰国したら「自然農」しようとも思ってはいなかったのです
20歳位のとき
大阪を歩いていて「夕日が綺麗だなー^^」
と何げなく思ったとき
どこからともなく「声」が聞こえ
それは「母だったのか。。。誰かだったのか。。。」
夕日が綺麗ね
犬は怖いね
貧乏は嫌だね
帽子は似合わないね
あれ???
自己崩壊の時でした
自分が今まで「感性」やら「美」やら「言葉やら」
自分から発して居たということが
実は違っていた・・・・
其の場でしゃがみ込み
身動きが取れなくなった時でした
その時から
自分の「目」
自分の「感覚」
を掴み取る
ひたすらそれをしていたように思うのです
自分とは?
カメラを手にして
それは延々続くのでした
その後
30歳のとき
またまた「自己崩壊」
カメラを手にして「町を歩いていたときに」
大阪の「画廊で」陶器の作品「オブジェ」でした
其の作品を見て「泣き崩れたのです」
そっと「作家さんが」あたしを抱きかかえ
陶芸をされたらどうかしら?
といわれたので
そのまんま「夜行バスに乗り」東京に行く
東京国立博物館にて「陶芸」というのを見る
なんかねー^^
あんまり「感動しないね・・・」
で帰ろうとしたとき
まだ見てない「館」があり
そこでまた「爆(泣)」感動で一杯になるー
縄文でした
縄文のエネルギーに「心がワシ掴みにされたのです」
それからカメラを捨て「陶芸にのめり込み」
インドに行き
帰宅して「電車の窓〜」さをり織りに出会う
さをり織りと自然農して
今此処「竹田」
で
今も飽きずに「さをり織り」
そして
この冬「縄文回帰」という企画展に「お声がかかる」
「テーマ」は
あたし縄文なんです
これからもそうだわ
もう
自己破壊はなく自己再生のエネルギーで溢れています
毎日
毎日「自己再生」^^
ありがとう
大分の「竹田の廃校」
宮砥工藝舎で「さをり織り」教えています
手織り工房ぱたんこ屋もしています
おかんハウスもしています
ナニモンなんだー^^
わかりません
まあ
作品見たり「現在は未来カフェ・レストラン」にて作品展
竹田の教室は「木:と第3日曜日」オープン
おかんハウスは週末オープン
090−2280−85567
高木
さをり織り
だけは飽きずにやってるのは
さをり織りが
一番自分に向いてるからかもしれません
この指とまーれー^^
です
川口由一さんが「さをり織りは自然農」だね
と
あたしの話聞いてくれた後
おっしゃったのを今でも
覺えています
大切な言葉です
ありがたいです