インド

 

 

若いころ
インドに
行った
その頃は
とても
苦しく
インドにでも
行かないと
居れないくらい
しんどくて
日本を出た

友人の「デザイナーオフィス」で
その友人は、とても変わっていた人「いい意味」
だったので「コピー機械」「ドア」あちこちに
おしょう
の「言葉」を貼っていて
おしょう

あたしは「知る」

ところが「プーナ」に行くと
もう「オショウ」は此の世にはいなくて
でも
存在は「確かにそこに有り感じた」
あたしには「霊感」もなんにもないのだけれど
肉体を離れても「おしょう」の存在はそこに
あって「素晴らしい場」だった

でも
あたしには「外の世界」のほうが
もっとワクワクした

せっかく
遠い「日本から」
ボロボロの自分を「インドに連れてきたのに」

朝の「瞑想」の時間に
それは
起こった
突然「おしょう」が
あたしの「肉体にはいって来た」
迷っていた
事を
此処ぞとばかりに聞いた
きちんと答えて
もらえた
次の朝
あたしは「プーナ」を出た

インドからネパール
再びインドの2ヶ月の「旅」

100点満点の自分を抱えて
日本に帰る

その後「大分で田舎暮らし」

地に生きてるのが好きなんだなー^^

死について41の答え OSHO
死に直面している人を気の毒に思わないように。自分自身を気の毒に思うがいい。死があなたを取り囲むにまかせ、その味わいを得てごらん。無力さを、非力さを感じることだ。無力だと感じているのは誰だろう?非力だと感じているのは誰だろう?エゴだーーというのも、あなたにはどうすることもできないとわかるからだ。あなたは彼女を助けたいが、できない。あなたは彼女に生き延びてほしいが、何もできない。
その無力感を、できるだけ深く感じなさい。この無力感から、ある気づき、ある祈りに満ちた状態、ある瞑想が立ち現れてくるだろう。その人の死を活用しなさいーーそれは、一つの機会なのだ。全てを、機会として使ってごらん。彼らの傍らにいてごらん。静かに座って、瞑想することだ。あなたが人生を無駄にし続けないよう、彼らの死を、あなたにとっての指針とするがいい。いづれ同じことが、あなたに起こるのだからね。

thank you osho

これはFBの友人が
アップ
してくれて
救われた
言葉です

いつでも
どこでも
ありがとう
おしょう

ありがとう
友人の「サニヤシン」たち

 

 

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